心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

人のこころのありのままとはむしろ逆である 

森田正馬は、悪戯に、苦悩を排除せずに、苦しみに至ってむしろそれを乗り越えてゆくことを示す。 すなわち、人とは、人生とは、要は「苦」であって、それを認めよ、それが「あるがまま」だと言う。 神経症者の不安や恐怖は、回避したり、いつわりの知恵や理…

治る前の心 自信など光など必要ない

(患者)かえりみれば、過去三年余、がんこな強迫観念に悩まされて、悪戦苦闘し、 何度か絶望のふちに身を投げようとした私であった。けれどもいまは、 森田先生の絶大な力によって迷夢からさまされ、生の前途を示す微光を見出すことができた。ただこの微光(…

学問について 

ニーチェに惹かれるというのは、ひとえに「貴族的」ということだろう。そういう表現自体、文学に類する言い方になるが、そうは言っても、外的価値に委ねて自己救済しようする甘さ、すなわち「奴隷」が学問に溢れている。それは、悪戯に「色眼鏡」を増やすよ…

論理の錯誤 思想の矛盾

よく人を、「説得」しようとする人や、自分自身がいる。 いたずらに、ポジティヴでいようとか、考えないようにしようと、「排除的思考」になるのではなく、不快感をそのままでいようとして、認めることが先決だ。 排除的になると、ますます、反発によってそ…

「治る」意味 神経症の場合

治すとは、忘れてしまい、意識の集中が、不快な身体症状への一点から周縁になるわけで、「症状そのものがなくなる」というわけではない。とらわれが少なくなっただけでしかない。つまり、あるものはあるとして、過剰な執着や迷信がなくなる。それが「治る」…

性格というのは煩悩そのものである スマナサーラ

性格というものは、貪瞋痴という煩悩で形成されるのです。しかし普通の人間には、この三つの煩悩の理解も出来ないのです。単なる欲を向上心だと言ったり、あるいは実際は欲に走っている人を、たいへん明るくて活発な人だと言ったりする場合もあります。怒り…

苦や不浄を見破ることこそ「正見」である

余計なことをなにひとつやらないでも、太陽や星はかがやいている。 辺にいじるからおかしなことになる。 神経症は、流動的な、錯覚、夢、主観に近い。 心理的なものだ。 今まで、一切皆苦、無常が分からなかったが、いまは、分かるようだ。一切はただ苦であ…

体得するとはなにか

純主観とは、体得のことである。我々は、主観的に勝手に判断しているが、なにかに夢中なときは、それに成り切っている。それが会得であり体得である。 つまり、自己に対して批判や観察を離れた、動作そのものになりきる、ことである。 自分に良い意味で気づ…

再度 治すためではない神経症

治すための行動や、方法ではなく、症状があっても、目的をこなすのが正しい。 神経症の場合は、症状は、見せかけの仮性である。症状よりも、「意識しすぎる」のが、問題で、「症状を治すこと」ではない。ならば、どうするか。 結局は、神経症そのものに直面…

神経症者は「すなお」では無くなってゆく

森田正馬は、「すなおさ」を推奨している。 世の中にいじけて、ことあるごとに、遺憾の意を示したがり、お気持ちや、白けて見せたり、密かに自分は優れているという「気持ち」本意の意見が目立つ。 神経症者は、「お気持ち」いかに自分が周りの世界に遺憾で…

のっとりは怖いもの 心理的欲求不満で他人や自分の人生を台無しにする V.フランクルの考えに寄せて

よく人は、〇〇に則る、ものだ。 運動会などで、我々選手一同は…と〇〇に則り、正々堂々と闘うものだが、まさに、それは神経症の場合は、気分や妄想や迷信や思い込みという他人に対して、自分のアカウントやスマホを自由に使わせるようなものだ。つまり、易…

閑話休題 

いつも、森田正馬ばかり引用しているが、たまには、自分で。 当たり前だが、流れが悪いのは、流せないからである、ということが、わからない場合がある。流れが良いのは、悪いことを気にしないで、良いことばかりに意識が向いているからでしかない。悪いとい…

神経症は、「意識する病」である 森田正馬

注意の執着神経質患者が、夢が多いといったり、一定の強迫観念が絶えず念頭に現われるというのは、単に注意の執着による意識の関係から説明することができる。私たちは、こまかく自己観察をすれば、眠りからさめるときには、ほとんど必ず夢を見ていることを…

心身症は、器質的疾患ではなく「主観的」である 森田正馬

この心気症、すなわち病気を気にすることは、その程度や種類にしたがって、次のようなものがある。 死の恐怖、疾病恐怖、毒物有害物の恐怖、 災害や縁起の恐怖、または感覚の不快、 苦痛 心の葛藤の苦悩などを恐怖し、取越苦労するなど、各種のものがある。…

神経症発作や軽度のチック、どもり、喉の支えなどは、誰でもなる

とにかく、病気と思い込んでいる人が、たくさんいるが、偏りや多寡の問題であって、重傷者は、それが、激しく、ひっきりなしに、「普通の人」より、回数が多くて、「振れ幅」が大きいに過ぎない。 神経症発作や、発達障害やチックなど、強迫観念など、実は、…

主観に閉じ込められた神経症症状 森田正馬

神経質の症状は、この執着がいつまでもとれないものと解釈すればわかりやすい。強迫観念についても、はじめは、常人にも当然あり得るような現象を、患者が自分で異常病的の苦痛と考え、恐怖を起こし、予期感動をともなうことから、精神交互作用によって、次…

おもにチック神経症(発達障害)スペクトラムについて

重傷者ならともかく、日常的に軽症なら、周りも本人たちも、とにかく、放っておく、気にしない、これが「薬」です。QOLが著しく下がるような一部の重傷者はともかく、生きていくのに、問題がないことなら、まずは、気にしない、「いつか気づいたら忘れる」で…

すなおな心を忘れずに苦しんでも小心者で良い 森田正馬

5 学者ぶることの弊害また、「衒学」といわれるものがある。それは学問らしく見せかけ、日常ありふれたことにもことさらに術語を多く使い、説明をむずかしくしようとするものである。たとえば「腹をかかえて笑った」といってもさしつかえないところを「不意…

心が弱ったり、心が弱いから神経症になるのではない 森田正馬

184「建具屋の繁昌は建具の注文が多いことからである、建具が鼠にかじられれば注文は多くなる、鼠は猫が少なくなれば多くなる、猫は三味線の皮にたくさん使われれば少なくなる、三味線の需要は盲人が多くなるとふえる、盲人は目にゴミがはいることから多くな…

自分の体を大切にしすぎて、逆に弱る神経症体質

そもそも、健康で活動的な精神なら、勉強中にもいろんな想念がおこるのは当然なことだ。勉強のやり方について言えば、いやいやながら、またいろんな想念のおこるままに、とにかく机に向かって本を開いていればよい。それが素直な態度であり、そうしていれば…

ラーメン屋のおやじの生き方

https://youtube.com/watch?v=aBzdqioFvh8&feature=share この動画のラーメン屋のおやじの動画には、感動や、安ぽい煽りや言い方などいらない。 たんに、「これが俺の仕事や、身体が弱っても待っている客のためにやる」「ただそれだけ」がある。淡々と仕事に…

「自己啓発本」に閉ざされていてよいのか 宮台真司

アドラーにも良い面があるけど、フロイトが「ネズミ」――僕がいうクズ――と呼んだ理由も分かる。後にフロイトを継承したラカンが、神経症の源泉になるトラウマの意味を明らかにしたけど、僕らは、言葉の中に閉ざされるようにムリヤリ訓練されたせいで誰もが本…

フロイト=ラカン派を語る 宮台真司

社会という言語的なシステムに、一見「適応できた人間」と「適応できなかった人間」がいるとして、「適応できなかった人間」の方が正しいんだというのがフロイト=ラカン派の一貫した発想です。「心の病気だから治しましょう」と人は言います。確かにそれで…

我にとらわれず なりゆきに任せる 森田正馬

小我のとらわれから脱せよ 神経質患者は、不眠や頭の重い感じ、不快な気分など、一つ一つの症状にたいし絶えず注意を向け、自ら予測しているために、その症状はますます悪くなるばかりである。それはあたかも子供が植物を植えるとき、土に根を下したかしらん…

医学的な思い込みについて 森田正馬

船酔いについて… (承前、船酔いについて、)あたかも脳震とうのようなものだ、と言っている。これもトルーソーの説と五十歩百歩であり、船酔いの治療には何の役にも立たないのである。こんな学説は、一見学問らしい難解な理論を立てたものであるが、現象を…

困難を避けずにまずは没入してみる 森田正馬

勉強の苦痛や、家庭のうるさいことや、社交のわずらわしさなども、すべて自分の心の置きどころによってそれをリズミカルに調整し、自由自在であることができるのである。それにはまず自分がその中に没入同化してその境遇になりきることが必要であって、反抗…

方法論に拘ったりや「お気持ち表明」する前に、不完全でもやってみる 森田正馬

忙しい気分のときが、一番仕事も勉強もできるものなのだ。学生が夏休みで帰郷するとき、休み中にうんと本を読もうと思って行李にいっぱいつめこんで帰るが、大ていほとんど読まずに持ち帰ってくる。それはあたりまえで、休暇になると刺激がなくなり精神が弛…

自分の悪を自覚することによって、はじめてほんとうの善人になる 森田正馬

(承前)私が日記に、「私は自分の偏屈で、気が弱く、交際下手な性質を直そうと長年努力してきたが、すべて失敗に終って絶望に沈んだ」と書いたら、次のように批評された。 「われわれの性質は生れつきであって、どうすることもできない。それは仏教で言うと…

神経症と発達障害 早見み大別プラス精神病

◎神経症者 思考や内省力が多すぎたり心的な欲求不満や不調和で体調が悪くなる。感情と向き合うことができずに、不調和が出る。自律神経失調症など、あくまで「心」の課題が大きい。 脳機能よりも、まず心理的な課題がある。発達障害者よりむしろ、自分に気づ…

被害妄想と神経質の違い 森田正馬

1 心理から見た人間の種々相反対に、盗人は自分でもその行為が悪であり罪であることを表向きには十分認めているけれども、その裏には都合のよい自己弁護の心がひかえていて、社会の罪や親の教育が悪かったせいなどに転嫁しようとする。だから盗人は、人から…