心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

方法論に拘ったりや「お気持ち表明」する前に、不完全でもやってみる 森田正馬

忙しい気分のときが、一番仕事も勉強もできるものなのだ。学生が夏休みで帰郷するとき、休み中にうんと本を読もうと思って行李にいっぱいつめこんで帰るが、大ていほとんど読まずに持ち帰ってくる。それはあたりまえで、休暇になると刺激がなくなり精神が弛緩するから、むずかしい
本は読めなくなるのだ。本は、人のいっぱいいる図書館とか、電車の中とか、家族が集っている茶の間とかで読むと、かえってよく頭に入るものだ。 明窓浄机とかいう言葉があるが、静かな部屋で
ひとり机に向かっていると、精神が弛緩してうとうとと眠りをもよおし、読書の能率も上がらない。
・・・・・・また、若い人はよく精神統一ということを考えちがいして、雑念を一掃して読書に精神を集中しようとするが、それは無理なことで、雑念はなくしようとすればするほど群がりおこり、しまい
には雑念恐怖症という強迫観念にもなる。
そもそも、健康で活動的な精神なら、勉強中にもいろんな想念がおこるのは当然なことだ。勉強のやり方について言えば、いやいやながら、またいろんな想念のおこるままに、とにかく机に向かって本を開いていればよい。それが素直な態度であり、そうしていればいつの間にか読書に気が向き、勉強もはかどるものだ。これは、『不断煩悩得涅槃』
ということにも通ずるかと思う」
先生の晩年の十年くらいは、胸が悪い上に持病の喘息がひどくなって、普通の人なら寝込んでしまうような病弱の身でありながら、 慈恵医大の教授として毎週講義に出られ、根岸病院の医長を勤められ、自宅にはいつも十数名の入院患者がおり、外来患者の診察にも応じ、また、雑誌「神経質」を主宰し、多くの著書をあらわし、講演旅行にも出かけるという八面六臂の活動ぶりであった。

 

 

メモ

そもそも、健康で活動的な精神なら、勉強中にもいろんな想念がおこるのは当然なことだ。勉強のやり方について言えば、いやいやながら、またいろんな想念のおこるままに、とにかく机に向かって本を開いていればよい。それが素直な態度であり、そうしていればいつの間にか読書に気が向き、勉強もはかどる

 

というところは大事だ。自分の事や気持ちにとらわれて、「考え方」「気持ち」にこだわるより、問題があってもやってみる。自分の不快な気持ちを他人に分からせたり、押し付けることこそ、不愉快としる。なぜなら、生きていれば、不愉快や病は避けられないからだ。不愉快を表明するほど、悪くなる。不愉快な感情や身体の病を気にするほど、周りも自分も不愉快になる。