心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

人のこころのありのままとはむしろ逆である 

森田正馬は、悪戯に、苦悩を排除せずに、苦しみに至ってむしろそれを乗り越えてゆくことを示す。

すなわち、人とは、人生とは、要は「苦」であって、それを認めよ、それが「あるがまま」だと言う。

神経症者の不安や恐怖は、回避したり、いつわりの知恵や理屈や健康療法やら、思想や哲学を駆使したがるが、「思想の矛盾」があらわれる。

人の、あるがままの、心的なスタイルとは、理想的な安寧ではない。むしろ、不安定であり、苦であり、無常である。神経症者は、それを理想化し、やたらと完全に安心や恐怖を「排除」したり「回避」したり、「理屈」を駆使してしまう。それが、さらに、事実と乖離するために、増長する。

 

安心立命とは、むしろ、死や不安や恐怖を覚悟した姿である。これは「不安定を認める」ことで、神経症不安な人は、逆に「不安にならないように静養し外出や人出を避ける」が、まったくの間違いで、ますます、社会生活が出来なくなる。釈迦は、むしろ、絶望し、不浄を見破り、無常、苦、生者必滅(死ぬという事実)を認めて悟った。

神経症者は、理想化や現実回避が強いので、安心を求めたがるが、まったくの逆効果である。

泥の中で咲く花とは、蓮の花だが、それは、汚れを排除しないで、むしろ、泥を栄養素にしたり、苦を認めた上で咲く花の意味であり、不浄であること、しかし、人は、そうあることができる象徴だと思われる。