心の書庫

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人間に対するアレルギー反応について

人間に対するアレルギーという自己免疫系の混乱状態がある。それは、異物感のことだ。つまり、風邪でもないのに、風邪のような炎症、アレルギー反応を見せる。風邪のようでなくても、パニック発作のようなものも関係がある。心理的な基盤に「敵か味方か?」がある。

 


パニック症候群には、自分と自分以外の関係を、徹底排除あるいは心理的な同一化するか、ゼロイチ思考回路がある。人との適当な距離感をつかめない人ほど、このような症状になる。ストレスに対する対処法などが、分からない人も多くいる。

 


アレルゲンは、種々様々だが、それは、「人」にまつまる状況になる。

 

心理的に不都合なトラウマなら極端に退けようとなるのは当然だと思われる。

 


人や状況次第では、咳やくしゃみが、なんら特定のウィルスや埃がないのに、出るのは「異物としての人(や状況や記憶)」という観念が働いている。パニック発作や社会不安も、不適切なストレス状態を極端に「排除」しようと働きやすい。過敏性腸症候群なども、ストレス耐性が、何らかの理由で保てない時に、排泄的に働くしかない。

 

俺は、こういうのを自己愛の闘争劇(闘争)と呼んでいる。心身症の人は、基本的に、こういう人間関係や愛情にまつわる問題を心情的に把握できない。アスペルガー的特性や、知性や、逆に無知や知能が乏しく、身体のストレスや心情を感じけれない。いわゆる敏感性と鈍麻を持っている。

 


現実的次元でパトムのような自己臭症や対人恐怖やガス異臭に結びつけているが、実際には、人の「アレルギー反応」の心因的誤作動である。

 


今のように、文明化がすすめば、共同体や地域社会、会社、学校が、宗教や家族などが希薄化、空洞化し、崩壊すれば、「周りが敵か味方か分からない」状況や人が発生する。社会不安や人間関係不安が高いのだ。

 


心理的な認知的トリガーがアレルギー反応に出るが、その反応自体のきっかけがそもそも人間に対する敵意や怒りの、フロイト的な「転換」あるいはヒステリーに近いだろうか。

 

不都合な現実や心的認識、自己認識に至らないようにする周到な合理化であり、「人間」への無自覚な異物感や極端な排除思考と、それに伴う過剰な自己防衛ととれる。潔癖で、強迫的で、しっかりしようとして、むしろ直面を避けようとしがちになる。

 


あるいは、アレルギー反応で「ストレスを排除」する、という独特の過敏性があるなら、発達障害的な独特の過敏性ともいえる。

 


人間全般や特定の状況や人物に対するアレルギー反応となって現れてしまう。実際のところ、慢性的なメンタルヘルスに罹る人は、体に炎症がある。鼻詰まりなども患っている。

 

 

 

 


敵が味方か?という極端な感覚が、アレルギー的に変換され、誤作動を起こす。これを「心底」治すには、人間関係の「再構築」という心理セラピーが必要になる。

 


実際、体の炎症は、食生活よりも、心理的ストレスの方が実は強く現れる。

 


不必要に、交感神経優位で戦闘体勢の誤作動ならパニック障害心身症などの人が、慢性化した身体の「炎症」やアレルギー反応を、同時に引き起こしているのはうなづける。

 


ゲームやスマホや過激なコンテンツや嗜好品により、敏感性を持つ人が、心底リラックスできていない、ということだ。

 


敵意や不安や恐怖が基盤にあるかぎり、心理的な炎症は避けられない。

 


心因性のものは、サイコセラピーや癒しが、必要になる。その人が、人を「敵か味方なのか」の自律神経と脳神経にまつわる「心の問題」によって見るなら頷ける部分はある。薬をばかすか飲んで治るとは到底思えない。

 

私としては、これは、人間という「関係性」の病であり、1人で治せるものとは思えない。むしろ「人々」が、このような関係性を、どう捉えなおすかという部分が大きいように思う。