心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

仕事は本心では嫌々ながらやるもんだ

仕事は体調が悪かったりやる気がないのは基本的に当たり前というか普遍的な感覚だろう。労働は、古来から、苦役である。日本のブラック企業は異質かもしれないから一概には言えないが、食糧を狩るにしろ、昔から人は生きるために命懸けなのが普通だ。 嫌々な…

人の目を気にするのはむしろ普通だ

神経質な人は、「無理な問題」を抱えている。 よく、悩まない方法や、考えない方法や人目を気にしない方法を教えてくれ、と言う。要は葛藤しないで、楽になりたいというわけだ。 むしろ、悩むのが普通の人であり、人目を気にし、葛藤するのが、普通の人だ。…

人が生きていれば問題があるのが普通

神経症者は、症状があるから問題だと言う。だから、症状がなければ、と必ず言う。だが、症状があろうがなかろうが、やりたい放題とは限らないし、努力や、継続や業楽が、症状がないから出来ると言う理由には一切ならない。「症状を理由にしてなにかをやらな…

知性化は防衛である

なるべく「自分なりの考え」を挟まないほうがよい。100%は無理だが、我で凝り固まっても良くないだろう。わざわざ「我」のワンクッションを置く必要性があるのか。知的に振る舞おうとして、思考優位に陥ってしまう。知は、「灯り」であって、同一化はできな…

日本に知識人など、左翼などいない。

そもそも、知識や知性は、世を照らす光で、自然科学も尺度である。すなわち、測りだ。たしかにバカより、物事の隅まで見える。だが、私は、知性、知識というものには、基本的に全幅の信頼はない。物理科学や医学で、身体や宇宙をすべて理解できるわけではな…

労わるほど栄養を与える

よく、神経性者は、自分は弱いと思っているが、リビドー的欲求や権力欲は、神経性者はむしろ「強い」。が、人は反面弱い。このギャップはなかなか埋められない。 神経性者は、強い性格を持っているし、器質的には健康だが、やたらと自分は繊細で病気というか…

当たり前を認めるだけ

よく、森田は服従という。雨が降ればせいぜい傘をさすが、雨自体を消せない。しかし、雨や嵐まで、強気や考え方で消えるはずもない。嵐がきたら不安だし、怖いし、悪天候がイヤなのは当たり前だ。それに逆らって、「どうにかする」など医者も本人もできない…

外界の現実とはなんなのか

そもそも、外界の現実や主観などは、なにかを映しているようで、とくになにも表してはしない。現れているとしたら、それは人の心である。人は勝手気まぐれに世界や現実を作り出すが、本来は無常でしかない。 人が勝手に生み出した上部だけの、主観的な限られ…

現象とはなにか ショウペンハウア

仏教でも、世は移ろう、無常な「現象」として取り扱う。究極的には、無、すなわち無常なのであるが、人は、よく内面を見つめるというが、それは不可能だ。 というのも、ショウペンハウアが言うように、内面を主観的に把握する行為、認識の主観は、なんら物自…

「観察」とはなにか

そもそも、外界の現実などは、内界の反映、色付けに過ぎない 人は、それに一喜一憂している。夢みたいなものだ。 一喜一憂しないで、内界を整えるために、呼吸、身体を整えるのが最適だ。 世の中を操作するのではない。呼吸に同期して、「無常」を観察するの…

相手の中に、自分の心があるわけではない

そもそも、神経症患者は、自分も他人も「観察」している。悪く言うと、話は聞いてないし、周りの人にそもそも関心はない。人一倍自分に関心があるが、しかし、自分が向き合うには弱い性格気質と強気の板挟みになってしまう。 そうやって、神経症患者は、自分…

会話は、内容より流れや雰囲気が大事

神経症の人や対人恐怖の人が、やたらとコミュニケーションにごたわり、とらわれるが、話は基本的に流れで無内容で構わないのだ。 よほど重要な会議やプレゼンやなにか議事会、儀式などではないかぎり、基本的にコミュニケーションは、形式でありスキルであり…

神経症の問題を自分の問題と認められたら半分治ってる

よく神経症者が、◯◯の境遇や、家族や、こんなニュースや事件を目撃したから病気になったなど滔々と話す。 しかしながら、人の生はままならない。 よく、病気の人は、病気をカムアウトするが、神経症の人の場合は、病気の話はむしろしないほうが好ましい。 と…

知識欲はとらわれの牢獄

よく、森田正馬の本に、やたらと知的な神経症者が出てくるが、本当に不思議で有る。しかも、知的にもかかわらず、症状が治まらない。 というのも、どんなに頭が良くても、知識や探究が、神経症や生きづらさを解消してくれるという回避的な言動をしているから…

人のやってることの「深い意味」などない

基本的に、神経症であれ、他の精神病であれ、なにか裏や意味があるのではないか、と思い込み、さらには、その妄想が確信に至る場合がある。 とは言え、人のやってることは、基本的に心情の色付けされた浮世の夢、妄想、思い込み、煩悩、人それぞれの業であり…

人の気持ちが分かるだろうか

心理学者、河合隼雄は、人の心など分かりはしないと逆説を言っている。 そもそも人の心などありはしないし、分かりはしないのだ。あるとしても、それは、煩悩、業である。心はフィルターである。 真理は、因果法則、業だけだからだ。 だから、感情や欲求や上…

フランクフル 百足のたとえ

フランクルは、神経症者、とくに自意識過剰な人は、まるでムカデが自分の足の動かし方を意識しすぎて、前に進めず、出鱈目に動いている様子をたとえた。 意識や理論は、基本的に、人間の自然な流れを阻害して、不自然でぎこちないものになりやすい。 人の「…

「症状」に服従する

神経症者は、しばしば、滑稽でエゴイストで自己中心性が高いと言う。 しかし、神経症者は、意外と、自分の性格を惨めと感じつつ、虚栄心や自我が強いと言う側面がある。弱々しく、他方は、強く神経症を隠そうとする強弱が激しい気質なのだと言う。 実際に、…

体得 それがシンプルで難しい

神経症治療には、結論からすれば、良くも悪くも諦めてしまうのがよい。 場合によれば、服薬も悪くはない。重要なのは、とらわれとはからいの、作為だからだ。 患者が、治す意志があっても、しばしば、理論や、意識や知恵や、森田療法の本ばかり読むことがあ…

「参った 往生した」それでよい

症状に負けて良いし、治らなくても良いのだ。 しかし、「頭の理解」で、それで、よくはない。いくら、ありのままでよいと、「頭の理解」をして、ひたすら頭で唱えてもしょうがない。 「参った!」という、これを「腹に落ちる」必要がある。 潔く、観念して、…

解決型思考、問題発見思考

神経症の人の気持ちには、問題をわざわざ作ったり、見つけたりして、「解決」しなくてはならない、というこだわりがある。 森田正馬が言ったありのままとは、神経質な人には、わかりづらい。 ある意味で、ありのままとは、「問題があって基より」というスタ…

変化を迎えていく「一年生」

人間は、恒常性があるが、あくまで、それは外観の話だ。人は、成長や老いを止められない。 じつは、変化を拒むのは、無知な態度でエゴで、幻覚だ。 変化への恐れではなく、恐れや不安によって自我が、変化を拒み、世の真理を否定する無知な態度だ。 世は常に…