心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

変化を迎えていく「一年生」

人間は、恒常性があるが、あくまで、それは外観の話だ。人は、成長や老いを止められない。

 

じつは、変化を拒むのは、無知な態度でエゴで、幻覚だ。

 

変化への恐れではなく、恐れや不安によって自我が、変化を拒み、世の真理を否定する無知な態度だ。

 

世は常に変化している。細胞レベルで、瞬間瞬間は変化で、無常だ。

 

変化しないようにしているのは、「怖い」のではない。不安や恐怖は、自我の態度、無知だ。

 

恐怖や不安は、あくまで見せかけにすぎない。それにとらわれていたら、月夜の、仮初の姿、煩悩の現れだ。それに気づくこと。

 

怖いという幻覚に酔ってしまっているのだ。そして、世の真の姿を拒んでいる。世の真理は、怖い、不安ではなく、苦、無常である。

 

苦しいことや楽しいことも「絶対」ではない。

 

ありとあらゆることに、とらわれない、変化の「中」へ、生命は、流れているし、無限的なのだと思う。

 

変化を拒む、恐怖や不安は、エゴのパワーだ。意地を張っているのだ。

 

エゴを強めるのは、生命の姿ではない。

全体の流れから、疎外された、人の身勝手だ。

 

私は、去年から、神経症の話をしてきたが、基本的には、神経症の「主観」は、煩悩であり、無知である。恐怖や不安などは、人間の「人工物」だ。自然には、「流れ」があるだけである。怒りや悲しみもまた、無常だ。

 

恐怖や不安の主観で、自我が強くなっている。

 

身勝手な自我の「虚妄」から、変化の流れへ、「中」へ…あらゆるものは、流れいく。