心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

仏教から神経症不安を見る

なにが現実を作っているのか。幽霊の仕業でなく、自分の行いしかありません。 怒りの心を育てていないかと気づく必要があります。怒ってないふりをしながら、心が、怒りを積み重ねている。きちんと怒りをチェックしてあげる必要がある。なぜ、怒りのチェック…

神経症は、「治す」ものなのか

当ブログでは、神経症は、無意識の意識化→自我の意識的強化から安定を図ろうとする理解と、時には、神経症を治さず生かすという方向性を見ています。森田療法やフランクルのように、ありのままというやつです。あくまで医学的なアプローチの場合は、主訴を「…

ギーゲリッヒの神経症概念

この人の神経症概念は、まず、ある種の神経症は、たんに心的な筋書きに過ぎないと言うことに尽きる。悪く言うと、自分で自分を演出して、神経症を創っているのだから、治るときも新たな「筋書き」による、と言うことだ。つまり、外的要因などは、決定的なの…

神経症が出るタイミング

神経症が、とくに強くなったり、出たりするタイミングというのがあるが、これは、私個人から言わせれば、「人生に何らかの意味があるタイミング」ということになる。とは言え、すべてが意味があるわけではないです。 かたや、たんに、意味がない反射に固定さ…

心的エネルギーが強い人は現実創造力に長けている

私は、何でもかんでも、人間中心に考えて、すべてを人間が創っているという立場ではない。しかし、エネルギーが強い神経症者は、ある側面では、簡単に現実化する力を持っていて、それは、たいてい、自分の性格や症状である。 精神病院勤務の、フランクルがあ…

神経症は「残念ながら」必ず治る

神経症の特質に、精神交互作用と、ある特定の身体器官への拘りがある 対象リビドーを見失って、ある感覚器官に集中がいく。 この場合、この感覚は、性感であるとしたのは、フロイト的な分析だが、いまは分析はよい。 その神経症の悪いことばかりではなく、そ…

自他の休みを許せない人

休めないのは、神経質だからである。 近所によくリラックスしている猫がいる。いつも寝てばかりいるが、「いつも寝てばかりいる!」と人間が、その猫にキレていたらどう思うだろうか。猫はそれだけで存在価値を否定されるわけはないし、それが普通なのだ。 …

神経症の人は、心にヒトラーを飼っている

神経症者は、やたらと自己卑下をしている。自己否定としての外面的な価値を、自らが満たしていないにもかかわらずに、ナチスヒトラーみたいに、「健康美男美女」しか許されない、という優勢思想的かつ画一化された、超自我としての規範を内在化している。 自…

神経症をルサンチマンから考察する

神経症者をルサンチマンから理解する 神経症性格者には母子一体感が悪いか、そのため基盤がない。とにかく不安で、そわそわしている。 神経症者は、病気ではないのに、やたらと病気を話す。しかし病院に行っても重大な器質性疾患はない。自分は大丈夫になる…

内的規範から神経症を捉える

今回は、超自我について。すなわち内的規範のことだ。本来なら、超自我は、厳しいしつけや、親の教育のように、言われ、無意識からの欲求を、しつける規範や秩序に思われる。 しかし、現代日本で、厳格な規範やルールは、価値観の多様性や混乱により、むしろ…

具体的になる自我

神経症的な、理想的自我を持ち、母への愛情要求が強い人は、「〇〇あるべし」に拘る。心的な病気になりやすい。(神経症は基本的に心因である) だから不安になる。しかし、具体性がなく、要求(クレーム)が強いのは不健全だ。超自我が、「叶えられないおま…

神経症に自我はどう対応するか

神経症は養育環境ばかりが、原因ではないが、日本人の「育て方」「母性過剰(過保護)」も関係ある。自分の場合、母親の強迫、ヒステリーや自我の弱さも一因、世代間連鎖もある。 強迫者は不安から逃げる(防衛機制葛藤の妥協)が、不安な人は、防衛機制が弱…

被害妄想

無意識という概念を知ると、なんか、被害妄想が悪化するような気がする。錯誤行為やささいな思い込みで、人が自分に危害を与えている、という妄想、被害感情、関係被害妄想である。俺も患っている。たとえば、ささいは肩がぶつかったり、物にぶつかったり、…

神経症の俺がなにより示していること

突然だけど、俺は「宗教」に向いてないと思う。一時期、仏教には救われていたが、仏教つても、結局は、今風に言えば、唯物的、消費社会的な価値観に入れないか、社会に居場所がない、陰キャラの優越感や慰安所でしかない。中には賢人はいるが、凡夫は、たん…