仏教から神経症不安を見る
なにが現実を作っているのか。幽霊の仕業でなく、自分の行いしかありません。
怒りの心を育てていないかと気づく必要があります。怒ってないふりをしながら、心が、怒りを積み重ねている。きちんと怒りをチェックしてあげる必要がある。なぜ、怒りのチェックか、森田正馬の指摘するように、神経症不安は、欲張りや、生の欲求、怒り、煩悩の悪業が強いからです。仏教的にはそうなります。不安のたびに、怒りや欲の癖を知ることです。「心の状態」は、自分で因縁の結果で、誰のせいにも出来ません。
思考や妄想「心」の働きを知る。
心所というものが、業を作ります。
すると、実在するはずがない「私」が
固定化されてしまいます。
業は過去の結果で間違いないです。
見たこと感じたことのちょっとした感情や周りと比べたり落ち込んだり競争心(怒り憎しみ)の積み重ねが、今になります。
そもそも不安が強いのは成り立たないです。不安は表面上だからです。
本当は、煩悩です。
怒りや憎しみの競争心生存欲と怯え肉体への執着などです。不安をどうにかしようとしても、意味がないのは、そのせいです。欲まみれの悪業だからです。
カルマの結実は、無明 渇愛 執着です。
意志に貪瞋痴があるのに気をつけます。意志は、すなわち行為です。しかし、私利私欲の不善行為と紙一重です。これを勘違いする危険です。
人は、刺激や反応に飢えています。その、「もっと感じたい」は、もっと満たしたい欲に他ならないです。不安だから、満たしたい。そればかりだからです。
なぜ、不安が強いか、生存と貪瞋痴の結果だから不善で無知だから怯えだからです。「他の生命より優位にいたい」という怒りや煩悩です。
ならば、怒りを制してもまだ不十分です。
下の「煩悩」をどうにかしないとならないからです。
1欲漏
2見漏
3有漏
4無明漏 という煩悩です。詳しくは調べて下さい。
そもそも、不善行為をなすクセは悪業のたびに、こころの癖や 傾向になり 心底に溜まります。(見えない領域で、人の怒りは溜まります)煩悩が触発され 「怒りのクセ」が定着します。
すると「どんどん溜まる」。
輪廻からの解脱について
智慧のある「心」で、観察することです。善業ばかりしようとする人がたくさんいますが、まったく「気付き」が足りません。気づきとは、煩悩に気づくことで、神やオカルト、おまじないを信じることではありません。業はどこまでも、自分があると思い込んだ悪業の結果に過ぎないからです。
「表面的な善業」で、無明、渇愛を克服するわけではないです。
欲張りや怒りのために、偽善を成せば不善である。
欲や怒りが、心底にあれば、悪業になる。
どうするか?
「智慧を働かせる」ことです。知識を蓄えると思考が募るので、智慧は、真理に気づくことです。
受→渇愛→執着→有を
正念、正知で気づいていることです。
すなわち、感じて、欲、執着から、それが有る!とこだわることです。
悪業には、善業という、三因を成す必要があります。
無貧 無瞋 に智慧を加えることです。単純に、欲を制し、気づく必要があります。
「心を育てる」のはそれだけです。
「感受しているもの、すべて」過去の悪業は間違いありません。これは、スピリチュアルではなく、万有引力並みに科学的で普通のことです。
とにかく、いまからどうするかの余地はあります。
欲を制するだけでなく、智慧がないと、煩悩は制することはできないです。
智慧(気付きつつげること無駄知識や思考妄想では無い)は「司令塔」なので、それが無いと意味はない。司令塔がない、心をイメージしたら、てんで出鱈目なのは、容易に理解できます。
仏教で大事なのは善行為ばかりでなく、智慧が現れてくることです。
ただ、カルマを断つために、良いことすりゃいんだろ? お布施して、お年寄りに優しく! と汚れた心でなにをやっても、怒り、煩悩はますます固着していく…
ならどうするか、智慧の重要ポイント
清らかな心は 喜びor冷静であると知る。
ポイント
◯智慧がないと 欲を制しても、怒りや煩悩は断ち切れない
◯偽善の根底にある他者への優しさや思いやりがなければ、たんに自我の貪瞋痴を強める (自分が救われるための偽善行為)
◯善業は、冷静と、与えた時の、喜びが伴う
解脱が達成されると、実は、心は一切動揺しない。
善業の結果なので、当たり前です
そんなわけはないと思うでしょうが、
当たり前です。
無知 無明を振り払い 智慧と善業を成す因果だからです。
一般人はどうするか
我々は、映画や音楽を見たり聞いたり、グルメやレジャーを避けられないので、なるべく控えめにするか、智慧を働かせながら(気付きながら)生活をして「なるべく悪業を控える」だけ、受の働きを弱める(もっと感覚を満たしたい)を回数を減らすだけでも良いと思います 解脱を目指す場合は、完全に気づいている必要があります。難しいことを考えずとも、怒りではなく、喜びや冷静を育てるんだと意識することから、流れは変わるかもしれません。気づかずに、怒り憎しみに「投資」していたら、心の病気は育つばかりです。
(参考、日本テーラワーダ協会)