心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

自他の休みを許せない人

休めないのは、神経質だからである。

 


近所によくリラックスしている猫がいる。いつも寝てばかりいるが、「いつも寝てばかりいる!」と人間が、その猫にキレていたらどう思うだろうか。猫はそれだけで存在価値を否定されるわけはないし、それが普通なのだ。

しかし、人間だけは、「いつも寝てばかり怠けているクズ野郎」という価値観がある。だから、病気になっても意地でも頑張っていようとする。あまりに浅はかだが、神経症の人は、「休めない」「休むと自分自身でいられなくなる」だから、無駄に自分で自分を縛る。だが、人間は休まないとパフォーマンスは出せない。周りの人や自分に「休むこと」を許せる人は、イライラしない。休めない人は、頑張る人達だが、それが神経症者の妄想としては、「頑張る自分で認められようとする」まるで幼稚園のようだが、大人にもたくさんいる。日本人の生育環境は、あまりに荒廃しており、幼稚な神経症の親が、幼稚な子を再生産している。まともな養育者が、「あなたは無条件でいてよい」という非言語的なメッセージを与えられない。だから、子供たちは、24時間「このままではいけない」という自己否定に陥っている。このような子供たちに未来なく、親も無自覚だ。「人はうまれながら存在を許されている」が、故なき罪悪感に苛まれる。それは、「神経症反応」である。要求する自分に満たされないから、罪悪感をつねに抱いている。こういう人は、不幸だ。なにをやっても、いつだってたっても認められない。頑張っても平気で、「自分に自信がない」というのは、外面的な価値しかないからだ。まともな人は、やるべきことを、少しずつ成長する自分に満足できるが、それが神経症者にはない。自分を再教育することは可能だ。なら、神経症を治すにはどうしたら良いでしょうかと尋ねてくる。これは、結局、「誰かが自分を救ってくれる」という幼稚さだ。「人に成功すれば良いのはどうしたらよいか」という幼稚さに気づいていない。成功するのも失敗するのも救い出すのも自分なのだから、必要なメッセージや情報を得たら、あとは、自分の人生の価値は自分で導いていこう、なんて考えない。いつまで、答えを探して、方法論に拘泥して、「治らないじゃないか」とクレームをつける。まさに、こういうのを依存性格者そのもの振る舞いだ。薬や医者やアドバイザーが協力してくれるのに、感謝より文句を言う。神経症は病気じゃないのに、「治せ」と言っても無駄だ。自分でその悪質さ、幼稚さに気づかないと始まらない。自分で自分を許せないから休めないのだ。休めないから不調なのは当たり前である。そういう人が、自分から「眠れない」なんて言うが、自分を、許せない人が、眠れるはずはない。自分で自分を眠れなくしているが、世の中や妻がどうこう言う。世の中も妻も自分を許せない人が、安らげるはずはない。