心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

外界の現実とはなんなのか

 

そもそも、外界の現実や主観などは、なにかを映しているようで、とくになにも表してはしない。現れているとしたら、それは人の心である。人は勝手気まぐれに世界や現実を作り出すが、本来は無常でしかない。

 

人が勝手に生み出した上部だけの、主観的な限られた「現実」や「表層」、とらわれの現象だ。

 

よく、人は、他人からは見たような現実を語るが、それは、「現実」ではない。

 

人が「勝手」につくりだした現象である。我々は勝手に「これが現実」というが、現象である。

 

そこにはなにかしらの「現実」などがあるわけでは無い。たんに人のエゴイズムや妄想、色付けされた主観である。そもそも意識などはなにも表さない。知性だけがかろうじて「世界」や「現実」に迫る鍵や光、助けになるのだ。しかし、知性が完璧に現実を表しているわけではない。

 

神経症というのも強迫も、そういう上辺だけの「現実」を勝手につくりだし、外界の現実を勝手に生み出している。しかし勝手に作り出した「現実」などは、現象に過ぎない。

 

我々は、残念ながら、外界や「世界」の上辺を眼球や主観では、なにも捉えられない。まして神経症的な主観などは、たんに自己の内界の自分勝手な反映、とらわれに過ぎない。

 

ほんらいの現実や世界とは、無常でしかなく、神経症的、強迫観念の主観やとらわれは、「勝手に作り出した現象」であり、外界の現実などではない。