頭の中で勝ったつもりにならない
自分や他人も、よく分からないままに、自分は、なんとなく優位性を感じたり、でっちあげたりするのが、神経症者の自尊心だ。神経症者は、とくに主観的になりやすく、器質的な病気がないのに、主観的に体のあちこちに異常があるという。それは、まさに幽霊や妄想や悪夢の世界をそのまま信じているくらいだ。それと同じくらいに、神経症者は、小心をひたすら隠したり回避したがり、心理的な状態を増幅させてしまう。不安や恐怖は当たり前なのだが、強者の妄想や理屈や、人より弱い人を発見したり、身体の症状に置き換えて、不安や恐怖をやりすごすような、逃げ癖、回避癖がつくようになる。とくになにかをやったわけではないが、正義や理屈や宗教や知恵で「自己欺瞞」に陥ってしまう。必要なのは、自己忘却である。自己欺瞞とは、邪険でしかない。悪知恵でしかない。適応できないことに、知恵を齎すのが、いわゆる心理学の、防衛機序である。要は、知的なふりして逃げたがる。神経症者は、感情や主観的な暗示性が強い。
たとえば、神経症的な社会的弱者は、サブカルチャーや哲学や文学や、宗教など、理屈を振り回し、「ありのまま」を失ってゆく。
森田正馬は、ありのままという、小心なままでいることを薦める。
自分をよりよく見たい、見せたいという、心的欲求を離れて、ひたすら忘我して、うちこみ、なり切る、苦悩を避けないことが推奨される。
社会の中で、人は、残念ながら秩序立てられているし、力関係はある。
しかし、自分を見誤って、ありのままの自分より、理屈や健康や宗教や学問で勝っていたいという心的な欲求が、神経症にはある。
森田正馬は、「すなおな心」が、さまたげにならないように、苦に直面すること、忍従することを薦める。
すぐに、理想化や理屈、楽観に逃げたがる神経症は、むしろ、苦に直面するという逆転の発想が、森田正馬の難しいポイントだろう。そして、理屈や理想、楽観という一致しない状態を「思想の矛盾」と言った。大切なのは、ごまかさないで、小心のまま行くことである。