心の書庫

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理想から見下ろす癖 思考パターン

神経症者は、事実を無視して、「理想」から自他を見下ろす。あるいは「思想」から、思惑や欲望から、ギャップを生み出す。自分を責めて、さらにありえない妄想や完全にこだわる。たとえば、人から嫌われたらどうしようと考えてしまうが、嫌われない人などいないし、一切、汚れずには生きられないし、完全無欠などはないが、「ありえない自分」から、「いまある不完全な自分」を、無理やり引き上げようとする。すると、知性や、思想や感情で、必死の埋め合わせをしようとする。神経症者には、「理想から出発する」癖がある。しかし、現実や事実は、そう簡単に埋め合わさるはずもなく、慢性的な葛藤、ギャップが生まれる。

 

逆に、常人は、ナチュラルに現実から出発するために、「思想の矛盾」が少ないで済むか、気づかないで終わる。

 

神経症者は、そんな人を、無頓着や向上心がなく見えるが、現実や事実に根差してナチュラルに生きているのは、実は、そういう人である。

 

森田正馬は、神経症者は、現実を無視しがち、という。予備知識として、神経症者は、「理想から出発する」「理想から自他を見下す」という、思考パターンがあることを、自覚した方が役に立つだろう。

 

感情や思想や理屈や知性などに、無理やり自己を当てはめようとする無限の苦痛を自ら引き起こしている。知識や知性が仇になる場合がある。神経症がゆえに、知識に照らし合わせようとするが、人間が一から十まで型にはまって生きれるはずもない。すなわち頭でっかち、理想主義、矛盾、妄想が起こりがちである。

 

しかし、森田正馬は、このような雑念があってよいから、症状の裏にある、よりよく生きたい欲望をやるべきことをやって体調が悪くてもやるのを勧めた。

 

体調が悪くなってもやれることが良いのであるが、神経症は、「体調が良い完璧なパフォーマンスでやれる」ことに拘るが、そんな日は、なかなかやってこないはずだ。プロのスポーツ選手も怪我や病気の家族を抱えてやっている。

 

神経症者に大事なのは、実は、みんな心の傷や体調や老いやハンデで生きているという事実から出発することだ。

 

「理想から出発」して「理想から自他を見下ろす」癖に気づこう。大事なことは、完全にやれた、ではなく、不完全でもやれたことである。

 

そもそも「完全」とはなんなのか。

それは、主観的な妄想であり、他人からしたら、主観的な完全などは、粗探しすれば、いくらでもできるということを主観的な神経症者は分からない。

 

知性や知識や薬はあくまで、補助の役割である。それに当て嵌めたり依存はできない。