心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

心が弱ったり、心が弱いから神経症になるのではない 森田正馬

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「建具屋の繁昌は建具の注文が多いことからである、建具が鼠にかじられれば注文は多くなる、鼠
は猫が少なくなれば多くなる、猫は三味線の皮にたくさん使われれば少なくなる、三味線の需要は
盲人が多くなるとふえる、盲人は目にゴミがはいることから多くなり、ゴミは春風が吹けば多く飛ぶ、だから春風が吹けば建具屋が繁昌する」という論理と同じである。
一般に神経衰弱は疲労からおこる、という理論からその療法も割り出され、疲労は安静によって治り、刺激性になったものは鎮静剤をあたえることによって安静になる、というふうに考えられている。しかし、理論そのものが間違っているために、その療法もまた間違っているのは当然である。
いわゆる慢性神経衰弱は、私の見るところでは、見せかけの仮性衰弱であって、ほんとうの衰弱ではないのである。
いまここに長い間の不眠を訴えてきた患者があるとする。多くの医者は患者の訴えを聞いてすぐ
神経衰弱と診断し、睡眠剤をあたえる。医者は、患者の不眠の実際をよく調べようとはしないので
ある。こんな場合、患者の実際の生活をよく聞きただして見ると、夜八時か九時ごろまでに床につき、朝は九時か十時にようやく起きるというありさまで、床についている時間が九時間あるいは
十時間という長時間であり、しかもその間に六、七時間は眠っていることが少なくないのである。
こんな場合、患者は主観的に眠れない、眠れないと思っているだけで、実際は必要なだけの睡眠はとっているのである。こんな患者に睡眠剤をあたえることは、かえって患者の不快な気分を増悪させることになり、害はあっても効果はないのである。

 

感想

 

基本的に、神経症は、エゴの凝り固まりや、体質に左右されやすく、心的なメカニズムがある。すなわちその人の生活態度や、意識によるところが、大きい。心の状態は基本的に良くも悪くも自分が作っている。

神経症は、外界の刺激や圧を「自ら利用」して、作り上げる。「疲れたから」ではない。「疲れていなくとも」「精神的疲労があろうと無かろうと」自分で人工的に生み出してしまう。クセや条件反射みたいなもの。

本当の病気ではなく、仮面のようなもの。