心の書庫

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医学的な思い込みについて 森田正馬

船酔いについて…

 

(承前、船酔いについて、)あたかも脳震とうのようなものだ、と言っている。これもトルーソーの説と五十歩百歩であり、船酔いの治療には何の役にも立たないのである。こんな学説は、一見学問らしい難解な理論を立てたものであるが、現象をありのままに把握しないために、実際から遊離してしまうのである。その論理の誤っていることは前に上げた非医者の理論と大差はないのである。船酔いは、心理的に言えば、船の動揺と自分の気持ちとの間に食い違いがあって、調和を得ないためにおこるものである。どんなに船に酔いやすい人でも、自分で船を漕ぐときにはけっして船酔いはおこさない。それは、船の動揺と自分とがしっくり調和して一体になるからである。何も、船酔いの説明に、三半規管や脳の貧血をもち出す必要はないのである

 

 

なお、学者は不注意のために、しらずしらずの間に曲学の弊におちいることが多い。それは学者が自分には実地の経験が乏しいにもかかわらず、医学的常識であてずっぽうに推論することからも生ずるのである。つまり、理論をもって事実を曲げて見ることになる。たとえば神経衰弱について言えば、「衰弱は疲労からおこる、疲労は過労からおこる、過労は刺激の多いことからおこる、文化生活には刺激が多い、したがって文化の発達によって神経衰弱にかかる者が多くなる」というふうに考える。神経衰弱というものの実体をよく観察しないで、論理によって手っとり早く理論を出そうとするために、このような誤った結論を出すのである。それは要するに常識論理であって、その論理経路の中には多くの誤りが含まれている。

 

メモ

 

神経症は、あくまで、心的な理由や動機を自分で人工的に作る場合に起こりやすい。