心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

船に酔うということはなにか 森田正馬

5 生活の調和と改善について

⑧ 船に酔わない法
誰でも経験することに、船酔いという現象がある。それは、船の動揺や臭気、エンジンの響きなどが人の感覚の調和をかきみだし、不快感を増進させるためにおこるのである。船に酔わないもっ
とも簡単な方法は、動揺や響きなどをリズミカルに受け入れ、自分をそれに調和させるようにさえ
すればよい
。もっと具体的にいうと、船の動揺にたいし、船が浮き上がるときには自分の身体を持
ち上げるような気持ちになり、つぎに船が沈むときには自分の身体を押しつけるようにし、船の動
きと調子を合わせていけば、はじめのうちは何だかわざとらしく意識的で不愉快であるけれども、
まもなく無意識となり自然に船と調和し、リズミカルになるのである。自分で船をこぐときに船に
酔わないのは、船と自分の運動が一致するためである。医学者が船酔いの原因を内耳の三半規管の
障害であるとか、いろいろの説を立てるのは、ただ人間の解剖生理の面だけにとらわれて、人間心理と外界との相対的な関係ということに気がつかないためである。
かましい船のエンジンの音でも、しずかに耳を立ててそれに聞き入っていると、まもなく自然
にその音と調和するようになり、不快はなくなり、船酔いはおこらないのである。
音に反抗するからじゃまになる
そのほか電車の音でも、ブリキ屋の音でも、はじめ少し我慢してそれに聞き入っていれば、それ
が少しも不快でなくなり、それを聞きながら読書でも考えごとでも何でもできるようになる。それ
とは反対に、音がうるさくて仕事の邪魔になるといって、それに反抗し、それを聞かないように気
をまぎらせるようにしようとすれば、遠くかすかに聞える日蓮宗の団扇太鼓の音でも読書のじゃま
になり、枕もとの懐中時計の小さな響きでも気になって眠れないようになるのである。
うちわ だいこ
船や汽車の臭気でも、なるべくその臭気に早く馴れるようにつとめ、それに反抗したり避けたり
しないようにすれば、酔わないようになるのである。
 自然に服従し境遇に柔順であれ
急流の上にかかっている橋から見下すときや、汽車の走るのを見るとき、吸い込まれるように感
じ、目まいをおこすのは、その感覚に反抗するからであって、流れる水や走る汽車と同じ速度で目を動かせば、何のさわりもなく自由自在である。

 

memo

森田正馬は、外的要因より、心理的に自分が作り出す問題を焦点に当てる。

眩暈や神経症や「酔い」の心理的な機序を、境遇になりきれない、反抗や拒絶反応に見ている。つまり、現実への反発が、そのまま、症状に現れる。ex.騒音で、勉強に集中できないというが、勉強をしたくないだけであり、勉強以外に、やりたいことに向き合えなかったり、言い訳を「心理的」に作り出す。なぜなら、音は「脳が聴く」のだから、科学的にも、理に叶う。つまり、「うるさいから自分が集中できない」は、言い訳である。うるさい声援のや作業の中で、サッカー選手や野球選手や工事現場で、仕事や結果を残す人が、音に左右されるわけはない。言い訳を作るのは、あくまで心理的な機序でしかない。バス酔いしやすい人が、「揺れ」に心地よく眠れる人も、ある種の自己催眠である。揺れに反発する力が、酔いを生み出す。