心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

理知本位という生き方 森田正馬

私が「理智本位」と名づけるもので、理想主義におちいるものがある。この傾向の人は、人生を是非、善悪、 正邪など価値的に批判し、自分の小智や小理屈できめた基準に適合しないことはいっさいそれをやらない、というふうである。この傾向は、学者、宗教家、教育家などに
多く見うけられる。この傾向の人はよく机上論におちいり、抽象的な理屈にかぶれ、世の中の現実から遊離することが多い。物知りになり、生き字引といわれ、実際の仕事は何もできないようにな
るのも、この種類の人である。

やたらに理論的な鋳型にはめこんだ自分の行動をおし通そうとするときには、「仁に過ぐれば弱く、義に過ぐれば硬く、礼に過ぐればへつらい、智に過ぐれば偽り、信に過ぐれば欺く」というよ
うにかたよってしまうのである。
「理智本位」は、また学生が時間割ばかりつくり、明日から勉強しよう、明後日からしようと考えて、とうとう勉強ができないでしまうようなものである。 「やさしいことはしないで、むずかしい
ことは手を出さず、ついに何もしないで終る」というように、学生が試験準備に数学の勉強などをやるときなど、やさしい問題はわかっているからと思ってそれを練習せず、むずかしい問題は手を
つけるのをおっくうに思って先にのばす、というようなことがよくあるが、それはあまりに価値批判にとらわれすぎたためである

 

memo

誰も重要なことに参加せず、他人にやらせて、批評家や評論家や分析家や考察ばかりが、社会の人気者になっていないだろうか。価値判断をするのが価値ある人生と勘違いしている。価値判断することで、価値を書き換えて、「自分が価値がある」と理知で整理し、自分の人生を生きていない証拠である。