心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

自分の体を大切にしすぎて、逆に弱る神経症体質

そもそも、健康で活動的な精神なら、勉強中にもいろんな想念がおこるのは当然なことだ。勉強のやり方について言えば、いやいやながら、またいろんな
想念のおこるままに、とにかく机に向かって本を開いていればよい。それが素直な態度であり、そうしていればいつの間にか読書に気が向き、勉強もはかどるものだ。これは、『不断煩悩得涅槃』
ということにも通ずるかと思う」
先生の晩年の十年くらいは、胸が悪い上に持病の喘息がひどくなって、普通の人なら寝込んでしまうような病弱の身でありながら、 慈恵医大の教授として毎週講義に出られ、根岸病院の医長を勤められ、自宅にはいつも十数名の入院患者がおり、外来患者の診察にも応じ、また、雑誌「神経質」を主宰し、多くの著書をあらわし、講演旅行にも出かけるという八面六臂の活動ぶりであった。
(森田に救われた人の話)

 

感想

 

もちろん、必要な病院や適切な治療や薬は必要だが、神経症者には、病院や薬は逆効果だ。体を労わりすぎて、いじり過ぎた結果、ますます気質的に敏感になり弱くなる。性感帯も弄りつつければ、開発されるのと同じで、神経症は、不快感を意識しすぎる。だから悪化する。さらに病気に怯えて、病院や薬ばかり使うが、治らないのだ。「100%健康なんかありえない」「みんな怪我や病気があって普通」というのが分からないから、100%というあり得ないことを望むようになる。「それなりに悪いコンディションで目的を果たすために生きること」が、普通だが、神経症者は、症状を理由にする。神経症者は、薬や「完全に治すこと」ばかり気にしているが、普通の人は、余命を宣告されたら、最後にやるべきことに向き合うはずだが、神経症者は死ぬはずのない病を気にして、怯えて、やるべきことからどんどん離れていく。