心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

心身症は、器質的疾患ではなく「主観的」である 森田正馬


この心気症、すなわち病気を気にすることは、その程度や種類にしたがって、次のようなものがある。 死の恐怖、疾病恐怖、毒物有害物の恐怖、 災害や縁起の恐怖、または感覚の不快、 苦痛 心の葛藤の苦悩などを恐怖し、取越苦労するなど、各種のものがある。直接に死の恐怖に関係したものは、心悸亢進発作、不安苦悶発作、めまい卒倒発作、運動麻痺発作などの発作性の症状となる。疾病恐怖は、癌、結核、梅毒、精神病などを恐れるいわゆる心気症、その他種々の症状となる。 不快、 苦悩を怖れるものは、頭痛、めまい、頭内もうろう、身体倦怠、耳鳴、注意散乱、記憶力減退、多夢、不眠などの症状を起こすようになり、これをその症状の所在からいえば、血液循環、分泌、消化、生殖機能など、内臓神経機能に関係し、または感覚器官、運動器官などの神経機能に関係し、あるいは精神機能に関係する普通いう神経衰弱の症状を現わすようになる。けれどもこれらは、実際に器質的または他覚的のものではなくて、すべて単に主観的・自覚的の症状であって、あとで述べる精神交互作用によって起こるものである。その外面的の形は、生活に対する抵抗力の虚弱のように見えて、ベアードのいわゆる刺げき性衰弱の相をあらわすけれども、実は単に表面的見かけのものであって、私はこれを似て非なる刺げき性衰弱(仮性刺げき性衰弱)と名づけた。
強迫観念の発生以上は死、疾病または苦悩そのものに、直接にとらわれて、これを現在の事実だと信じこみ、直接にこれを恐怖、苦悩するものであるが、直接は死とか疾病に関係しないで、本人が内省によって、自己を観察、批判して、普通人にもあり得る自己の感覚、観念を、病的異常と誤って考えていた。

 

感想

人は、不快感や不幸をフォーカスして、強めて、それに縋り、排除したり、逆に無意味に感覚を強めようとする。まるで無意味な学習やクセをしてしまう。「身体」は病んでいないが、迷信臭くなり、思い込みが激しくなり、「主観的」に病むようになる。

非常に狭い主観的なエゴで、健康を維持して、不快に執着してしまう。排除しようとして、それを主観的に「判断」してしまう。まるで無意味に。内省や主観による決めつけによるところが大きい。それどころか、医師さえ「異常が見当たらない」ことさえある。異常はないのに、「その感覚は異常」「死を必要以上に恐れる」など決めつけがある。