心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

森田正馬 ある神経症婦人の話


執着がなくなったとき、そこには神経質の症状はないのである。
(註)
ある婦人が、神経質性のヒポコンドリーで病床につき、今にも自分に死がやってくるものと思い、
苦しんでいた。ところがある日、四歳になる自分の子が百日咳にかかり、呼吸も絶えるかと思われ
るばかりに咳き入るのを見て、とつぜん自分のことを忘れて子供を介抱し、そのときからはじめて
自分の病気を忘れるようになった。小我のとらわれが、わが子にたいする愛情のために消滅した

である。 小我が拡大されていくありさまは、子をもつことによってはっきりと認めることができる。
わが子の病気やよろこびは、わが身のことのように苦しく、またうれしいものである。子にたいす
るのと同じような気持ちが、さらに進んで兄弟、親友、教え子、隣人、同郷の人などにまで拡大さ
れ、それらの人びとの苦楽を自分の苦楽とするようになるとき、自我はいよいよ大きく成長、発展
していく
のである。仏の慈悲は、われわれが子供を愛するように衆生を愛するといわれるものであ
って、これがすなわち大我の極致である。それに反して神経質患者は、自分の苦痛から逃れることばかりに心を労しているために、わが子も家族も犠牲にしてかえりみないことがある。これが小我
の執着である。

しゅじよう
(註 森田正馬は、神経質症状のおこる主要原因として、ヒポコンドリー基調説をとなえた。
ヒポコンドリーとは、いわゆる心気症で、自分の病気を苦にやみ、死を恐れ、病を恐れ、感覚
の不快や心の煩悶を苦にし、取越苦労する精神傾向を指す)