心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

心身症は、器質的疾患ではなく「主観的」である 森田正馬

この心気症、すなわち病気を気にすることは、その程度や種類にしたがって、次のようなものがある。 死の恐怖、疾病恐怖、毒物有害物の恐怖、 災害や縁起の恐怖、または感覚の不快、 苦痛 心の葛藤の苦悩などを恐怖し、取越苦労するなど、各種のものがある。…

神経症発作や軽度のチック、どもり、喉の支えなどは、誰でもなる

とにかく、病気と思い込んでいる人が、たくさんいるが、偏りや多寡の問題であって、重傷者は、それが、激しく、ひっきりなしに、「普通の人」より、回数が多くて、「振れ幅」が大きいに過ぎない。 神経症発作や、発達障害やチックなど、強迫観念など、実は、…

主観に閉じ込められた神経症症状 森田正馬

神経質の症状は、この執着がいつまでもとれないものと解釈すればわかりやすい。強迫観念についても、はじめは、常人にも当然あり得るような現象を、患者が自分で異常病的の苦痛と考え、恐怖を起こし、予期感動をともなうことから、精神交互作用によって、次…

おもにチック神経症(発達障害)スペクトラムについて

重傷者ならともかく、日常的に軽症なら、周りも本人たちも、とにかく、放っておく、気にしない、これが「薬」です。QOLが著しく下がるような一部の重傷者はともかく、生きていくのに、問題がないことなら、まずは、気にしない、「いつか気づいたら忘れる」で…

すなおな心を忘れずに苦しんでも小心者で良い 森田正馬

5 学者ぶることの弊害また、「衒学」といわれるものがある。それは学問らしく見せかけ、日常ありふれたことにもことさらに術語を多く使い、説明をむずかしくしようとするものである。たとえば「腹をかかえて笑った」といってもさしつかえないところを「不意…

心が弱ったり、心が弱いから神経症になるのではない 森田正馬

184「建具屋の繁昌は建具の注文が多いことからである、建具が鼠にかじられれば注文は多くなる、鼠は猫が少なくなれば多くなる、猫は三味線の皮にたくさん使われれば少なくなる、三味線の需要は盲人が多くなるとふえる、盲人は目にゴミがはいることから多くな…

自分の体を大切にしすぎて、逆に弱る神経症体質

そもそも、健康で活動的な精神なら、勉強中にもいろんな想念がおこるのは当然なことだ。勉強のやり方について言えば、いやいやながら、またいろんな想念のおこるままに、とにかく机に向かって本を開いていればよい。それが素直な態度であり、そうしていれば…

ラーメン屋のおやじの生き方

https://youtube.com/watch?v=aBzdqioFvh8&feature=share この動画のラーメン屋のおやじの動画には、感動や、安ぽい煽りや言い方などいらない。 たんに、「これが俺の仕事や、身体が弱っても待っている客のためにやる」「ただそれだけ」がある。淡々と仕事に…

「自己啓発本」に閉ざされていてよいのか 宮台真司

アドラーにも良い面があるけど、フロイトが「ネズミ」――僕がいうクズ――と呼んだ理由も分かる。後にフロイトを継承したラカンが、神経症の源泉になるトラウマの意味を明らかにしたけど、僕らは、言葉の中に閉ざされるようにムリヤリ訓練されたせいで誰もが本…

フロイト=ラカン派を語る 宮台真司

社会という言語的なシステムに、一見「適応できた人間」と「適応できなかった人間」がいるとして、「適応できなかった人間」の方が正しいんだというのがフロイト=ラカン派の一貫した発想です。「心の病気だから治しましょう」と人は言います。確かにそれで…

我にとらわれず なりゆきに任せる 森田正馬

小我のとらわれから脱せよ 神経質患者は、不眠や頭の重い感じ、不快な気分など、一つ一つの症状にたいし絶えず注意を向け、自ら予測しているために、その症状はますます悪くなるばかりである。それはあたかも子供が植物を植えるとき、土に根を下したかしらん…

医学的な思い込みについて 森田正馬

船酔いについて… (承前、船酔いについて、)あたかも脳震とうのようなものだ、と言っている。これもトルーソーの説と五十歩百歩であり、船酔いの治療には何の役にも立たないのである。こんな学説は、一見学問らしい難解な理論を立てたものであるが、現象を…

困難を避けずにまずは没入してみる 森田正馬

勉強の苦痛や、家庭のうるさいことや、社交のわずらわしさなども、すべて自分の心の置きどころによってそれをリズミカルに調整し、自由自在であることができるのである。それにはまず自分がその中に没入同化してその境遇になりきることが必要であって、反抗…

方法論に拘ったりや「お気持ち表明」する前に、不完全でもやってみる 森田正馬

忙しい気分のときが、一番仕事も勉強もできるものなのだ。学生が夏休みで帰郷するとき、休み中にうんと本を読もうと思って行李にいっぱいつめこんで帰るが、大ていほとんど読まずに持ち帰ってくる。それはあたりまえで、休暇になると刺激がなくなり精神が弛…

自分の悪を自覚することによって、はじめてほんとうの善人になる 森田正馬

(承前)私が日記に、「私は自分の偏屈で、気が弱く、交際下手な性質を直そうと長年努力してきたが、すべて失敗に終って絶望に沈んだ」と書いたら、次のように批評された。 「われわれの性質は生れつきであって、どうすることもできない。それは仏教で言うと…

神経症と発達障害 早見み大別プラス精神病

◎神経症者 思考や内省力が多すぎたり心的な欲求不満や不調和で体調が悪くなる。感情と向き合うことができずに、不調和が出る。自律神経失調症など、あくまで「心」の課題が大きい。 脳機能よりも、まず心理的な課題がある。発達障害者よりむしろ、自分に気づ…

被害妄想と神経質の違い 森田正馬

1 心理から見た人間の種々相反対に、盗人は自分でもその行為が悪であり罪であることを表向きには十分認めているけれども、その裏には都合のよい自己弁護の心がひかえていて、社会の罪や親の教育が悪かったせいなどに転嫁しようとする。だから盗人は、人から…

船に酔うということはなにか 森田正馬

5 生活の調和と改善について⑧ 船に酔わない法誰でも経験することに、船酔いという現象がある。それは、船の動揺や臭気、エンジンの響きなどが人の感覚の調和をかきみだし、不快感を増進させるためにおこるのである。船に酔わないもっとも簡単な方法は、動揺…

理知本位という生き方 森田正馬

私が「理智本位」と名づけるもので、理想主義におちいるものがある。この傾向の人は、人生を是非、善悪、 正邪など価値的に批判し、自分の小智や小理屈できめた基準に適合しないことはいっさいそれをやらない、というふうである。この傾向は、学者、宗教家、…

境遇になりきる力 森田正馬

勉強の苦痛や、家庭のうるさいことや、社交のわずらわしさなども、すべて自分の心の置きどころによってそれをリズミカルに調整し、自由自在であることができるのである。それにはまず自分がその中に没入同化してその境遇になりきることが必要であって、反抗…

真逆のことを考えるのは異常ではない 森田正馬

34、「私の心理はすべて変態で、普通の人とは逆である。だから、自分の思っていることと反対のことをすれば、かえって世間と調子が合う」と言っている。これも、べつに変態というほどのことではない。われわれの生活には表と裏があって、それを適当に調節し…

頭で考える人はなにもしない 森田正馬

1 心理から見た人間の種々相35それと同じである。 それを変態ではないかと自己内省する人は、自己抑制のつよい性格であって、そんな行動に出ることはないのである。そのほか、自分は精神錯乱におちいるのではないか、あるいは思い余って自殺するのではなかろ…

森田正馬 心理から見た人間の種々相

1 心理から見た人間の種々相29このように、自信と内省とが調和をたもっているのが正常な状態であって、その調和が失われたときに、いろいろな変態が生ずるのである。もし自信ばかりつよくて内省が足りないときには、生活も行動も向う見ずとなり、失敗の危険…

森田正馬 ある神経症婦人の話

執着がなくなったとき、そこには神経質の症状はないのである。(註)ある婦人が、神経質性のヒポコンドリーで病床につき、今にも自分に死がやってくるものと思い、苦しんでいた。ところがある日、四歳になる自分の子が百日咳にかかり、呼吸も絶えるかと思われ…

森田正馬 神経症に悩む人々のために

すでに第二念、第三念ともなれば、いろいろの迷いにおちいり、これ が悟りだと思ったとしても、それはもはや悟りではない。 禅定のときにかぎらず、われわれが何かに驚き、あるいはよろこぶときは、純一な自分そのもの であるが、ハッと我に帰り自分の心境を…

河合隼雄 心と身体のハーモニー

引用 30心と体のハーモニー僕が思うのは、結局心と体というのは関連していて、自我っていうのは、心と体の両方のコントロールできるんですね。で、心も身体も一つの全体として動いているわけね。で、全体としての動きの中で、自我をもっているというのが人間…

心理的な「酔い」「眩暈」について 森田正馬 

心理的な「酔い」「眩暈」について 森田正馬 著書生の欲望から 引用はじまり 承前 それから、ピンツは、船の動揺によって脳動脈の収縮を来し、脳の貧血をおこして眩暈や嘔吐をおこすのであって、あたかも脳震とうのようなものだ、と言っている。これもトルー…