頭で考える人はなにもしない 森田正馬
1 心理から見た人間の種々相
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それと同じである。 それを変態ではないかと自己内省する人は、自己抑制のつよい性格であって、
そんな行動に出ることはないのである。そのほか、自分は精神錯乱におちいるのではないか、ある
いは思い余って自殺するのではなかろうか、と心配する人は、けっして錯乱したり、自殺したりす
ることはできないのである。なぜならば、それは、精神健全でありたい、何とかして生きたい、と
いう本来の心があって、その拮抗作用としておこったものだからである。 本来の心を陽極とすれば、
拮抗作用は陰極である。陽極と陰極が引っ張り合っているために、われわれの心は平衡をたもち、
行動にも調節があって行き過ぎが少ない。ところが、変質者や精神病者には、この平衡、調節作用
を失っている者が多い。だから、これらの異常者には複雑な心理の動きがなく、自己抑制が欠けて
おり、ある一つの心が発動すると、そのまま行動にうつし、強盗、強姦、放火などをやることにも
なるのである。
「いためつけられて快感を感ずることがある」というのも、それだけでは変態ではない。たとえば、
からいわさびを好むように、われわれにはつよい刺激をよろこぶ傾向がある。朝鮮人などは、から
しがすきで、口もまがるかと思われるほどからいものを平気で食っている。こうして、だんだんつ
よい刺激をもとめ、普通の人にはたえられないような刺激をむさぼり、おぼれるときに、変態の状
態となるのである。麻薬中毒や変態性欲なども、はじめは何でもなかったのが、しだいしだいにつ
よい刺激をもとめていって、深みにはまりこんだものである。
memo
裏を返せば、予期不安は、皮肉なことに、おこそうもないことを思う。乗り物恐怖の人が、事故が起こるかもしれない、と煩悶するのは、頭で考えているだけでは現実は変わらないことを物語っている。考えるだけで、なにもしない人をイメージすれば分かる。
裏を返せば、頭で、不足を考える人は、用心深く、問題を起こしにくい。不安や強迫があることで、それだけ律儀で、生真面目すぎる、ということ。