心の書庫

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カフカの処刑機

「わたしは自民党社会党が差異を失って浮遊しながら国政権を掌握している現在の政治社会状況と、サリンによる無差別殺傷が犯罪として出現してきたことと、大手の新聞やテレビ報道機関が無差別に法的確定の以前の段階で特定の個人や集団を犯罪者として葬ろうとする出鱈目な言説をふりまいていることとは、絶対に関係のあるところに、現在の情況は突入していると思っている」(吉本隆明


べつに、これは、いまに始まったことではない。グローバリズムという名目の中で、まるでカフカの「流刑地にて」出て来そうな、無差別級の自動処刑マシーンが、いまの社会とやら、言説や、あげくには、本当に起きている。コロナや一部のジェノサイド的な殺人に関係しているし、ナチス時代の「残滓」は消えていない。というより、ナチス以前から、人はそんなもんだ。黒死病の時代でさえ、ユダヤ人のせいにされ、ユダヤ人は葬られたのだから。

いまの日本なら、民間病院や個人飲食店や、風俗など、人々の営みに欠かせない存在を、破壊するように仕向ける言動が罷り通る。

それは、かつて賑わせた、いまもあるブラック企業の場合もあり、信仰宗教のような、オウム真理教であり、画一的過ぎる教育でもあり、コロナの無為無策でさえも同じく、市場原理主義グローバリズムも、表向きの表象は違えど、基本的に抽象的なレベルでは「自動処刑」なのだ。

Twitterに流布しているような言説さえ、基本的に人を殺すか、排除する、個人や民間を潰すだけの言説なのだから、基本的に、日本のメディアや言論空間は、処刑マシーンといえる。

この「無差別的殺意」は、もっとローカルレベルではいじめや差別だ。選別的と思うかもしれないが、基本的には、自分以外、皆殺し、という欲求以外にとくに思想的、イデオロギー的な深い意味はない。


「奇妙な装置なのです」と、将校は調査旅行者に向っていって、いくらか驚嘆しているようなまなざしで、自分ではよく知っているはずの装置をながめた。旅行者はただ儀礼から司令官のすすめに従ったらしかった。司令官は、命令不服従と上官侮辱とのために宣告を下された一人の兵士の刑の執行に立ち会うようにとすすめたのだった」(流刑地にて)


いま、頭の中に、処刑機のイメージがある。

人は、それに、けして屈するべきではないはずだ。