心の書庫

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現実と夢 柄谷/夏目/丸山

丸山眞男は次のように言っている。

社会的現実はきわめて錯雑し矛盾したさまざまの動向によって立体的に構成されていますが、そうした現実の多元的構造はいわゆる「現実を直視せよ」とか「現実的地盤に立て」とかいって叱咤する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一つの側面だけが強調される(「現実」主義の陥穽)丸山真男


我々が、本来の、立ち返るべき、現実については、通俗的な意味においてではけしてない。

まして、コロナや財政やオリンピックという「現実」というものも、ある意味では、「夢」にとっての残滓とは言えないか。

柄谷行人は、夏目漱石夢十夜について、次のように言っている。

夢十夜』全篇にみなぎる漱石の「暗さ」は、したがって一言でいえば、この世界では個体は本質的な生存を許されないということである。外側からみてどんな進歩や開化があるうと、「内側から見た生」においてぼくらは依然「夢十夜」の世界に棲んでいるのだ。歌石の暗い洞察は、宗教や科学(精神科学をふくむ)によってすりぬけてしまうことのできない問題にとどいており、また彼自身宗教にも科学にも重荷を預けようとはけっしてしなかったのである。

自分が、政治と文学を対置させ、安易な「現実主義」を厭う理由は、別に精神分析的な意味での、「夢の現実性」の「優位」ではない。

重要なのは、柄谷行人が指摘するように、どのような外的事象であれ、人にとって手応えのある現実性とは、常に内側みた生である、すなわち夢のようである、ということだ。

私が、ことさら一般的な「現実性」よりも、文学にいまだに固執しているのは、文学が、どのような分析や科学や宗教を以ってしてもどうしようもない人の生における「夢」という内側に忠実だからである。