心の書庫

主に本を通じて書いてゆく 書庫代わり 自分へのヒント

過敏性腸炎、父性など

過敏性腸炎や、過呼吸やら、原因不明の体調不良やら、喘息、アトピー性皮膚炎やら、一概には言い切れないが、心理学的な側面から、したら、仮に「父性」の問題があると思う。逆に、健全な、母子の一体感覚がないために、そわそわ落ち着きがない発達障害傾向や、自律神経失調症が悪化するのだ。

 

あくまで「見立て」だから、確定はできない。

不良行為やら、いじめられたり、弱い体調を崩してしまいがちなのは、父性に飢えているのだということ。潜在的には、そういうことで、悪目立ちして、気を引くのだ。

 

一般的には、恐怖症は、「父」を求める心のはたらきだという。

 

なるほど、一理ある。象徴的な、母や父の次元でも、それを求めている。すなわち、規範、道理だ。父性を表すものだ。

 

よく、暴れている人が、警察官がきて、安心したり、罪を犯して、なぜかスッキリするのは、象徴的次元の父の機能を、反社会的な荒療治で回復するから、とも考察できる。

 

河合隼雄は、次のようにいう。

「現代の若者の無意識内には、天なる父を求める動きが生じているように思われる。略。子どもたちは意識的には、自分たちの求めているものを明確には知っていない。しかし、彼らは「父」を呼び起こすために荒れ狂うのである。」

 

なるほど、現代では、おとなしく品行方正、真面目な人たちが、メンヘラや荒れたりするのは、まさに、その次元を見れば、合点がいく。

 

つまりは、よく言われる、過保護な母と、無関心な父である。

 

いわゆる、弱い父、存在感がない父、母子の歪んだ関係が、問題の根源にあるのだ。

 

解決策?

 

少なくとも、父の機能を回復することなのだが、果たして、それを日本社会や、父や、第三者たちが、問題意識を持てるかにかかっているだろう。いたずらに、ずるずるべたべた、「お母さんと一緒」の、歪んだ家族関係は、再考すべき、社会問題になっている。こんなに、地縁が廃れ、グローバル資本に切り捨てられつつあり、孤立した市民が、発達障害的傾向を持ちながら、見識や感覚が鈍い親や会社などに雁字搦めになり、孤独に喘ぐ未来しかない。全体主義に誘われるのは、そのような孤立であり、全体との一体化、すなわちマザコンである。こうことになると、いつまで、父の切断的な機能が働かない、「未発達」な人が急増している。

社会性やコミュニケーションが取れないのは当たり前だ。「父」という機能で、社交性や規範やコミュニケーションを学ぶことが出来なかったのだ。

いまは、どこもパソコンやら英語、偏差値、プログラミングだ。家に帰れば、ゲーム。

こんなんで、人が成長できるはずはないし、金があるかないか、以前から、恋人やおろか友人の作り方さえ、困っている自分や他人との関わり方など養われるはずはない。

 

問題意識があまりになさ過ぎると感じる。

 

寂しい人やコミュニケーション不全な人が、わざわざ人を苛立てせるような行為をするのは、すべてが、人から気を引くためでしかない。無意識にやって、人を、怒らせて、それが疑似的な父なのだ。人を、怒らせるのも、寂しさから、叱ってくれる「父」を召喚してると考えたらなかなか腑に落ちる。

 

いずれにしても、父性、母性のバランスは、精神衛生にかなり大事な見立てなのだ。