しばらくは方向性を変えようか
実はいまや「古典的な神経症」というような、ありふれたわかりやすい神経症や対人恐怖みたいなのは、減りつつある。統合失調などの、「典型的」な人も減りつつある。それこそフロイトや森田正馬などが生きていたような時代とは、人間の社会生活環境もまったく変わっているし、絵に描いたような「ヒステリー」も、あまりない。
それは、精神医学の進歩や問題意識や、昔にくらべたら精神科医などにかかりやすくなったり、メンタルヘルスが、身近になったのもあるし、薬の力もある。もちろん、それは、良い側面だ。
とは言え、他方、精神医学世界にも、トレンドがあって、いまは、「グレーゾーンの人」が、かなりの割合をしてめている。
そのグレーゾーンとは、いわゆる「繊細」とか「HSP」とか言われているであり、なにより発達障害と呼ばれる人だ。グレーゾーンとは、メンヘラではないが、メンヘラ「的な傾向」の人である。
いまや、精神医学界は、発達障害全盛期である。グレーゾーンの「患者」がたくさんいて、パッと見、「精神障害者」に見える人は、だいぶ少ない。
雑な分類が許されるなら、ほとんどの問題が、発達障害の凹凸からきている。
発達障害に気づかずに、ストレスや人付き合いの困難さにかかわるもの、いわば「生きづらさ」である。本人たちは、気づていない。
これが、上辺だけ誤診され、うつだとか間違った診断に繋がる場合があったり、繊細だとかメンタルが弱いとか勝手に決め付けているが、実は、根本的には、発達障害的な問題をかかえている人があまりにたくさんいる。
発達障害も、神経症と言っても一概にはこうだと言えず、発達障害的な傾向を「治す」と言ってもキリがない。グレーゾーン的なもので、本人を「治す」のか、社会生活環境を整備するのか、いろいろな考えはある。
ブログでしばらくは神経症については、一回箸休めをし、これからは、神経症だけでなく、発達障害について知識を深めながら、考えていきたい。知識を深めるだけで、生きづらさの正体が分かり、スッキリする部分もあるだろう。