心の書庫

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現勢神経症について フロイト/河合隼雄

「現勢神経症の諸症状、すなわち頭が重い感じ、痛み、ある器官の刺激状態、ある機能の減退や抑制には、なんの『意味』、すなわち心的意義もありません。これらの症状は、たとえばヒステリーの症状のように、たんに主として肉体に現われるばかりではなく、それ自体が全く身体的過程なのであり、この身体過程の成立にあたっては、われわれの学び知っている複雑な心的機制はいっさい抜け落ちているのです。
フロイト精神分析入門』


Twitterで、現勢神経症について検索したら、なかなか興味深いツイートがあった。

文体が独特すぎて、正直言ってイラつく文章だったが、自分なりに噛み砕いて、文章化したいと思う。
なにより、精神の健全のために役に立ちそうな情報であった。

まず大事なことは、人は、ある程度現実を取捨選択しているということだ。精神神経症と、現勢神経症という区分を知ること。

たとえばネットやテレビやなんらかの会話が、まるですべてが自分のことであるかのように感じられたら、それは生きづらいし、異常な感じがする。

実際、病的とは、そんな感じではないか。
すべてが自分と関係し、意味を持っている。本来なら、そんなはずはないのだが、フラッシュバック系やPTSD系やトラウマ系は、過去の時点が、ずっと今に居座っているイメージだから辛くなる。毎日が辛いとは、要はそう言う心的な状態だ。

だから、なんらかのスイッチが入ると、途端に意味やイメージが「現在」に降りかかるが、周りは、その「意味」が分からない。

しかし、象徴や記号や素振り、単語は、自分との関わりのように再起し続ける。これがいわゆるトラウマだ。

だが、実際の現実、現在とは、実は、なんの関係もない。関係性や意味は勝手に自分の中に潜んでいる。ようは、切断されないまま、母子一体のように、世界と自分が完全に通じあっている状態になる。これは、心的なストレスが半端ではない。いわゆる繊細とかHSPとか家庭機能不全系、AC系の人は、自分と人の区別や距離や、適度な「意味のなさ」「関係のなさ」を、処理できない。古いバックメモリが、現在の「関係」も「意味」もない刺激だけで、再起して、バグっているということを自覚するとラクにならないだろうか。健全な人は、普通は、必要なメモリだけを持ってきて機能させるが、トラウマティックな人は、簡単に言うと、「自我」が、弱い。脆いか、持てなかった人。大抵の場合、家庭では、父(現実の父とは限らない)との関係に齟齬がある。

その場合、自我のバリアが弱いから、打たれ弱い気持ちになる。相手のことが、自分に直接入ってくるような錯覚になる。

ちなみに精神神経症者は、ヒステリーと強迫観念の人。こういう人は、良くも悪くも「現実」が捻じ曲げられやすいから悪く言うと視野搾取であり、鈍感。

現勢神経症者は、要はトラウマ系。いちいち、些細なことが引き金になりやすい人。(自分もそのタイプで、特徴的なのは過去が必要もないのに現在に引き出される)

ちなみにヒステリータイプは、フラッシュバック系にはなりずらい。つまり鈍感タイプ。逆に現勢神経者はそのかわり、精神神経症にはならない。つまり、どちらかが、ある種の抗体的な役割がある。

フラッシュバックやトラウマティックな人、過去にいつまでも回帰する人は、それが、記号としてある限り、ずっと居座るようになる。でも、現在には、「なんの使い道もない」はず。

普通の人は、実は、いま/ここが体感的に分かっている人。それで不確実なのが分かっている人。

なのに、傷がある人は、よく「終わった」と口癖がある。普通の人は、「終わってない」のが分かっている。


たとえば、試合が終わってないのに、ひとりだけ絶望して試合の途中に帰ったら異常だが、異常とはある意味そう言うことだ。

こういう人にとっては、現在は不確かではなく、「過去/絶対」を抜け出せない。だから、周りの人は、理解できない。孤立するに決まっている。周りも理解不能だ。

簡単に言うと、もし、健全でいたいなら、「父の名」の機能を取り戻す。イメージとしては、母子空間から抜け出す。

わかりやすく言うと、分からない世界を知る。「外部」をつくる。

傷や過去のある人は、現在を生きていない。
「分かりきった世界」があり、諸悪の根源(要は昔いじめたやつ、親、気に食わなないやつ)などの、知っている世界から卒業することが先決。(いわゆる、心理学用語の「切断」のことだが、日本では、この切断が働きづらいという説もある。)参考程度に《私は出来事への影響を断念することによってのみ世界から独立できるし、それゆえある意味で世界を支配することができる。 ウィトゲンシュタイン『草稿』》

結局、世の中は、わからない、未確定、動いていて、「知らない人」や「無関係」は人がいるな、という、ほんとうの現実に目覚める。

普通の人は、世界が動いているのを体感的に知っているから、過ぎたことは居座らない。

いわゆる、自他区別をつくる。アダルトチルドレンコーチングでも、多分、あるはず。(知らんけど)

鈍感タイプの精神神経症の人は、あなたを「理解」しないのは当然で、過去や傷にいつまでも椅子を作って座りつつづけているのは、残念ながら自分だけなのだ。

ポイントは、「自我」。
自他区別や処理のイメージ機能だと思う。
いかに、世界が関係ないか、意味がないか、あるとしても自分が勝手に作っているか、「カラクリ」が知れただけマシにはなる。…はずだ。

ちなみに、河合隼雄とかは、日本は母系社会だから、西欧型の「自我」や成長はし辛いとか言っていたが、果たして…